top of page

ヨン・バルケ インタビュー「BLUE NOTES WITH BALKE」

jon.jpeg

・ヨン・バルケが教鞭をとる、ノルウェー音楽院での2025年4月に行われたインタビューの記事をヨン・バルケ氏とノルウェー音楽院の厚意により日本語訳で転載しています。

​文:Kjersti Juul / 写真:Magnus Skrede / 翻訳:Masayasu Hanai

2025年6月、ヨン・バルケは70歳を迎える。5月3日にはリンダマンサーレンで盛大なコンサートが予定されている。もしヨン・バルケが色覚異常でなかったら、世界は彼の“ブルーノート”を聴くことができなかったかもしれない。

音楽のパレットで50年

約半世紀にわたり、ヨン・バルケは音楽のパレットでこの世界を豊かにしてきた。
しかし彼は赤と緑の区別ができない。そのことを、音楽の世界はむしろ感謝すべきだろう。彼の夢はまったく別のものだった。

「本当はパイロットになりたかったんです。でも僕は色覚異常で。灯火や信号を見分けられないと、空の世界からは自動的に排除されるんですよ」とバルケは笑う。

視覚に限界があった代わりに、聴覚が彼を助けた。幼い頃から音楽に浸っていたのは、講師として働きながらも一生音楽を続けた父の存在が大きい。

「父は多才な音楽家で、クラリネットのほか、ギター、ピアノ、コントラバスも演奏しました。家の中は常に音楽で満ちていたんです」

ダークエナジーと魅力的な自由

バルケには退屈な練習や、何かを犠牲にした記憶はない。音楽は常に喜びの源だった。
退屈するとすぐにやり方を変えた。ピアノ教師のチェルニー練習曲集を早々に脇へ置き、父の持っていたデューク・エリントンの楽譜に夢中になった。

「自分を駆り立てる力は常に強かったですね。子どもの頃からジャズやブルースを中心に、チェロも含めて音楽を探求する時間をたくさん持ちました。チェロの先生はオスロ・フィルの主席奏者アルネ・ノヴァングで、素晴らしい師でした。チェロは専門にはなりませんでしたが、今でも個人的に弾きます」

ピアノだけでなく、打楽器やシンセサイザー、電子音楽にも広く取り組んできた。

 

――ジャズに衝撃を受けた最初の記憶は?
「12歳のときに出会ったのが、エリントン、ミンガス、マックス・ローチのトリオ作『Money Jungle』でした。ものすごいダークなエネルギーに衝撃を受けましたね。そこには強烈に惹かれる“自由”がありました」

jon1.jpg

"私は自分の意見を押し付けないように気をつけ、むしろ学生たちの考えを自由にすることを目指しています"

赤点だらけのノート

自由の欠如こそが、バルケの進路を決定づけた。ハートヴィグ・ニッセン校で音楽を2年間学んだが、退学を決意。

「非常に厳格なクラシックの教育で、四声体を書き、トライトーンは禁止、という規則ずくめ。僕はいつも多くの自由を試み、規範に逆らったため、ノートは赤点だらけでした」

その後、働き始め、19歳にはすでにプロの音楽家に。兄のエリック・バルケ(Erik Balke -sax)やジャズ歌手ラドカ・トネフ(Radka Toneff)と共演し、1982年に彼女が亡くなるまで定期的に活動を共にした。

70〜80年代はヨン・エベルソン (Jon Eberson -g)、カーリン・クローグ (Karin Krog -vo)、シゼル・アンドレセン(Sidsel Endresen - vo)らと共演し、スーパーグループ「マカレロ (Maqualero)」のオリジナルメンバーでもあった。

※マカレロ (Maqualero) : アリルド・アンデルセンが結成した1980年代〜90年代にかけての「北欧ジャズ」の進化に大きな影響を与えたグループ。結成時のメンバーはアリルド・アンデルセン(Arild Andersen - b)、ヨン・クリステンセン(Jon Christensen - ds)、ニルス・ペッター・モルヴェル (Nils Petter Molvær - tp)、ヨン・バルケ(Jon Balke - p/key)、トーレ・ブルンボルグ(Tore Brunborg - sax)

28歳でノルウェー最高のジャズ賞「バディ賞」を受賞。以降、国際的な受賞や多数のジャズ巨匠との共演を重ねてきた。

――ジャズで伝えたかったことは?


「一種の“誠実さ”です。僕にとってジャズとは、他と競うのではなく、創造的な魂から世界へ向けた直接的な芸術表現の探求です。その中には倫理があり、自分自身に耳を傾け、心から感じるものを世界に差し出す、というメッセージがあります」

jon2.jpg

開かれた風景

自由な風景で活動できることが、常に選択の基準だった。

「アイディアが常に頭に浮かんできて、それを追いたくなる。決められた基準に沿って音楽をつくるのは物足りない。映画音楽も経験しましたが、外部の制約が多く、またやりたいとは思いませんでした」

――インスピレーションの源は?


「20代半ばから世界中を旅し、いわゆる“ワールドミュージック”に耳を傾けました。まだインターネットもなく、ジャンルとして確立する前の時代です。西アフリカ、ブラジル、インド、中国を何度も訪れました」

 

「その時期はとても形成的で、音楽が自分の狭い世界以上のものだと実感しました。同時に、60〜80年代の現代音楽にも強く惹かれました」

 

作曲を本格的に志すようになった頃、自分の知識の欠落に気づいた。
「ノルウェー音楽院のトンメッセン教授に相談したら、『誰も君を止めないから授業に来なさい』と言われて、数年間オーケストレーションの授業に通いました」

 

その後、音とエネルギーとして音楽を捉えるソノロジー的アプローチや、エレクトロアコースティック音楽の共同体にも関わるようになった。

"大きな自我を持ち、自己宣伝に関心のある人とはうまくいかない。

私が関わってきたオーケストラはすべて、一種のコレクティブ(共同体)的に機能してきた"

音楽における「ひらめき」

バルケは自作を「枠組み」と捉え、演奏者がそれぞれの宇宙を探求できる余地を残す。

――なぜ不確定要素を音楽に取り入れるのか?
「ステージで“ユーレカ(発見)”の瞬間を味わえる可能性があるからです。予定通りではない何かが立ち上がる瞬間ほど満足感のあるものはない。音楽的エネルギーの解放であり、他に代えがたい体験なんです」

ハーモニーやベースラインなど基本的な構造を持ちつつ、多くのオープンな部分を残すのが実りある“テンプレート”だという。

 

「音楽的な強度は常に、会場の響きやその日の演奏者の状態などに左右されます。状況に応じてプロセスを延ばしたり終わらせたりする、その柔軟性こそが作曲上の指針です」

jon3.jpg

集団性とエゴ

1990年代には想像力をさらに広げ、「ヨクレバ」や「マグネティック・ノース・オーケストラ」などで北欧の音楽文化・フォーク音楽を取り込み、新たな風景を切り拓いた。

2000年代には、アラブ音楽、ルネサンス、バロックを融合させた「シワン」プロジェクトを開始。

――成功するコラボレーションの要件は?
「すべての参加者が常に集中していることです。完全に決められた進行がないからこそ、みんなが注意深く耳を傾け、僕の方向づけに応える必要がある。これは開放性と協働の意志を前提とします」

 

「自己宣伝に走る大きなエゴとは相性が悪い。僕が関わったオーケストラは常に“集団”として機能しました」

 

若き日のバルケは、サックス奏者アーチー・シェップにピアノ椅子から押しのけられたこともある。
「カーリン・クローグのために弾いたアルペジオがあまりに控えめだと言って、彼が代わりに叩きつけるように弾いたんです。貴重な教訓でしたよ。強く出る勇気を持て、というね」

jon4.jpg

学生との交流

2025年5月3日、ノルウェー音楽院でのコンサート「Magnetic Works」では、キャリア全体を振り返る音楽が、トップ奏者や学生とともに演奏される。

 

「学生との交流は、個人的にも精神的にも豊かさをもたらしてくれます。2021年に着任して以来、直感的にやってきたことを言葉にせざるを得なくなりました。僕の教育はツアーバスで先輩音楽家の話を聞き、ヒントを拾い、実践で培ってきたもの。言語化するのは初めてでした」

 

――ジャズの才能を言語化できますか?
「“ジャズ”という言葉は問題が多い。あまりに広く、層が多い。でも僕が嬉しいのは、オリジナルな表現を持ち、単なるスタイル模倣を超えて何かを探ろうとする人です。たとえまだ tentative(試行段階)であっても」

 

「既存のスタイルでの眩しい技巧より、そちらにずっと興味があります」

"私は多くの自由を取り、既存の規範に反抗したために、本の中で常に赤い印をつけられていた"

jon5.jpg

非商業的な人生

音楽院の准教授としての指導は、セールスやストリーミング数に焦点を当てない。

 

「学生とのディスカッションでは、独創性は存在するか?芸術とは何か?私たちの動機は何か?といったことを話します。自分の意見を押し付けるのではなく、学生の思考を自由にすることを目指しています」

 

非商業的なアーティストとして生きてきたバルケは、浮き沈みも経験した。
「恵まれて仕事は比較的安定してありましたが、少ない時期もあった。そういう時期には、取り残されたような気持ちになり、将来を案じることもありました」

他分野との出会い

リズム、言語、文学のつながりを探るために立ち上げた「Batagraf」など、他の芸術分野との関わりは常に彼を魅了してきた。

映像作家シェル・ビョルゲンや振付家・美術家との協働は、音楽人生を豊かにした。
映像インスタレーションを手掛ける妻トーネ・ミュシュカとの仕事も大きな意味を持つ。

「音楽の力が他のメディアにどう拡張するかを見るのは本当に興味深い。現代舞踊とのコラボレーションも同じ。音楽的エネルギーと身体表現が合致すると、別の音楽的次元に入れるんです」

――抽象表現により関心がある?
「10代から政治活動にも関わってきました。チリのクーデターを題材に曲を作ったり、音楽は政治的か?抽象音楽に政治性はあるか?と議論しました。でも結論は出ず、議論が建設的とも思えなかった。むしろ“考える場”を開く芸術に興味を持つようになったんです」

"パラグライダーは音楽と関わりがあるのだけれど、あまりにも時間を取られるので手放さざるを得なかった。"

バランスを取ること

国際的キャリアと家庭生活の両立は簡単ではなかった。
「犠牲は両方にあります。演奏活動で家を離れる一方、家族のために多くのチャンスを断ってきた。妻と二人の娘との生活を優先したこともあります」

現在、娘たちは成人し、バルケは70歳を迎える。

――まだ音楽的にやり残したことは?
「もちろんです!時間がなくて未完成のスケッチや録音、楽譜がたくさんあります。パンデミック以降、コンサート市場は大きく変化しましたが、ソロ公演の予定もあります」

パラグライダーと音楽

少年時代の“パイロットの夢”は消えたが、パラグライダーは長年の情熱のひとつだった。

 

「パラグライダーは音楽に似ているけど、時間を取られすぎるので手放しました。
山の斜面でキャノピーを広げた瞬間、そこには“後戻りできない点”があります。それは舞台に上がる感覚とよく似ています。リスクに満ちた集中状態で、気流をどう利用するかで運命が決まる。着地した時のアドレナリンは、成功したコンサート直後の感覚にそっくりです」

 

「また始めるべきか、いつも考えているんです。どうなるかな」

jon6.png

Jon Balke “Piano with Spektrafon”

- Sound in Motion, Silence in Layers -

 

ECMの鬼才、ヨン・バルケが独自に開発したライブ・エレクトロニクス・システム「Spektrafon」(スペクトラフォン)を駆使し、ピアノと音のレイヤーを自在に往還する最新プロジェクトを日本で初披露。静けさに潜む律動、移ろいゆく音の層――ジャズ、現代音楽、サウンドアートを横断する、唯一無二の音響世界を繰り広げる。

 

本公演ではソロパフォーマンスに加え、スペシャルゲストとしてドラマー・福盛進也、書家・白石雪妃を迎え、視覚と聴覚が共鳴する特別なセッションを展開。音と沈黙、動きと余白が交差する、一夜限りの体験をぜひご体感ください。

 

日時:2025年10月5日(日) open:17:00 start:18:00

料金:予約 ¥6,000 当日 ¥6,500(全席指定)

会場:Baroom(東京・南青山)

詳細・予約:https://baroom.zaiko.io/e/jonbalkespektrafon

出演者:Jon Balke ヨン・バルケ (Piano、Spektrafon)Special Guests : 福盛進也 Shinya Fukumori(Drums),白石雪妃 Setsuhi Shiraishi(Calligraphy)

主催・招聘:有限会社 花井

共催:株式会社フェイス

協力:SISIOTO, nagalu

© 2020 - 2026 nagalu

bottom of page